未来世紀ブラジル

lightsilver2012-09-30

取り敢えず...これで書きため終了して暫く様子見。
なので...割と本気印の作品。

とにかく...騙されたと思って、先ず見てくれ!
それなら、ど阿呆な私の駄文なんざ全く必要ないので便所に流してといてくれ...そんな感じで。
(ちなみに写真は招運の写真。
宜しければどぞ)



原題『Brazil』 1985年公開
情報統制がなされた『20世紀のどこかの国』の暗黒社会を舞台とする、『鬼才』デリー・ギリアム監督の最高傑作。

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB

TRAILER:
http://www.youtube.com/watch?v=4Wh2b1eZFUM&sns=em

暗い未来を描いた作品は多い。
危機的状況を引き起こす原因は多種多軸であり、また実際の警告に近いものから、ありえない阿呆なものまで振り幅も広域に渡る。

映像技術の進歩は著しく...映像表現は制作当時に有する技術に如実に影響され、更には映像技術には多額の費用を要するために、保持する制作予算枠の影響を受けやすい。
時代の変遷とともに、現実状況との解離、及び映像表現の陳腐化は否めず、内容が秀逸でも現時点の視聴に耐えれない作品は多い...

そんな宿命を背負う近未来作品であるが、それでも尚、最高峰と推したいのが本作品だ。
その理由は、本作品は近未来の管理社会そのものではなく、虚構で成り立つ管理社会が有する『狂気』に焦点を当てているからに他ならない。



では簡単に...とはいかないか。

情報統制がなされた『20世紀のどこかの国』...それは矛盾と欺瞞に満ちた虚構の管理社会である。
市民の生活は厳重に監視され、人間性を損ねた労働環境を強いられる。
しかしそれは統制された社会の維持に必要不可欠な対価として市民は享受し自らの存在意義としている...とされている。

実際は、監督官等の目が届かなければ好き放題...当然、監督官等はその事実は周知だが、自らが煩雑となるのを嫌い『体制に影響がない』事項であれば黙認。
洗練化し近代化された建築物には、個人の空間は用意されていない。
また、その裏方は、さながら華やかな舞台の裏方のごとく奇妙な機械で満ち雑然とし、常に故障が絶えない...

情報局の役人である主人公は、この社会や職務に対する矛盾や疑問に煩悶する誠実で愚直な人間である。
ただ、自らが抱く他愛なく馬鹿げた妄想に逃避しがちではあるが...
また、その愚直さ故に職場の人間や有力者である両親にさえ異質とされ煙たがれる存在である。

ある日...この社会の些細な綻びが顕在化する。
指名手配書...いや抹殺指示書に記された名前の誤記により、無関係な市民が冤罪で連行される。
事の発端である誤記は、書類印刷の際に紛れた『蝿』が機械に絡まり誤印刷を起こすという...実に馬鹿げた、この社会ではありえない原因による。

主人公はその冤罪を晴らし過ちを正すべく、奔走し尽力するのであるが...
有象無象の力に阻まれ、危険人物の烙印をうけ、さらには社会へ反逆者として抹殺対象とされた。
最終的に残された道は、この社会から逃げだす事のみである。

そして...主人公は奇跡的に逃亡に成功し、未来への僅かな可能性を残した...かに見えた。

虚構の管理社会が有する狂気。
その社会で生きる為に纏わなければならない狂気。
社会に反抗する為、或いは反抗する事で自らの存在意義を確認する狂気。
そして、正常であろうとする困難から発する狂気...これらの様々な狂気が、陽気な『ブラジルの水彩画』のサンバのリズムに乗り狂乱となり...
真実は...理不尽で徹底的に残酷な現実と、狂気が産みだした幻覚を残しただけである...



さて...と
注目すべきは多々あるが、ここては補足を兼ねて数点お付き合いをば。

ひとつは...助演・大御所ロバート・デニーロの存在。
言わずとしれた最高峰の役者のひとりだ。
出番は少ないが流石である。
役者としての存在感もさる事ながら、注目すべきはその役どころ。

普段は配管工(非合法修理屋)を営むレジスタンス...いや、テロリストである。
社会と抗するには微力で些末な存在だが、主人公よりは遥かに手練た頼もしい存在だ。
行き掛かり上で主人公と関係し、窮地を助けもする。
徐々に主人公の精神的支柱ともなり、最終局面で主人公を助けるのも彼だ。
そして、彼と共に逃走に成功する。
...というのは主人公が見た幻覚にしか過ぎない。

結局のところ、彼の行動目的との接点があれば助けもするが、基本的に主人公の事などどうでもよいのである。
この虚構に満ちた管理社会の中で自らの存在意義を保つために、破壊活動を為しているに過ぎない。
そして社会は、その自らの包含する矛盾を隠匿するため、その自らの存在を正当化し存在を維持するために、テロリストの存在が必要不可欠なのである。

現在...現実のテロリスト等の殆どが、自らの存続のためにビジネスとして、破壊活動を行う。
そこには、信念も理想もない。
そして体制側は、破壊活動対策を大義として理不尽な政策を実施し、強権を発動する。
作中の構図そのものである。



主人公の阿呆な妄想に登場する理想の美女...冤罪事件の目撃者であり情報局に抗議に来た女性に似ている事に気付く主人公...
主人公が首を突込んだ最初の動機は、彼女を知りたいという下心であり、彼女のために奔走しただけである。
彼女の正体を知り恋仲となった主人公は、さながら自らの妄想のごとく、彼女と運命を共にすることを誓うのであるが...
すぐさま簡単に当局に捕縛され引き離される事になる。
その後、彼女の去就は全く触れられる事はない...

実はこの時...主人公は拷問、或いは何らかの脳外科処理が施される。
結局のところ...これから始まる狂乱は、主人公の幻覚の中でのお祭り騒ぎでしかないのである。

しかし当局側では、この処遇は恩情扱いとされる。
それは主人公が情報局の役人であり、有力者の息子であるから。
市民なら否応なしに殺されるか、更に残酷な処遇となるであろう。
引き離された彼女の、触れられる事のない残酷な最期は、想像するに難くない...

繰り返すが、主人公は幻覚の中で逃走に成功する。
自然に溢れ希望ある世界で流れ、口ずさむ陽気な曲は、紛れもなく彼自身には現実の出来事だ。
話中の現実世界で、脳外科処理を施され自我を無くした主人公が口ずさむ曲は狂気そのものである。

最狂最悪の後味の悪さ...

そして、後味が悪いと避ける事ができない、現在の『現実の世界』。
まさに今、本作の忌まわしさを、皆その身に叩きこんでおく事が、おそらく、この先の現実の未来で重要な意味を持つ事になる。



ふう...疲れた。
まあ...書いてみると先日扱った『変身』のひとつの投影て感じですな。
あと...あんまり深く考えずに映像表現、造形デザインを眺めるだけでも充分有意義ですよ。



最後に...蛇足。
主人公の母親の若返りについて...
母親は身体の全部位を、おそらく複数他者の部位を移植したり取り換えたと思われる。
若返りのお披露目の際、全ての古き部位を棺桶に収めているが、あの亡骸こそが実の母親である。
では、若返った母親は何者と化しているのだろうか。

全部位交換とは...つまりは脳移植と変わらない。

脳や意識は母親のものであろうが、本来の自我や意識が保持できている保証は何もない...ましてや平然と脳外科処理が施される社会である。
(幻覚内の出来事ではあるのだが)

捕らえられた恋人が、その部位に含まれている可能性は多いに高い。
仮に、顔形なり容姿なりが彼女とものと表現していたとしたら、更に狂気が増大していたであろう...

現在...某国の臓器売買問題を考えると、これもまた物語の中だけに留めておけない事項ではある。



ではまた。